予告しました通り、今回から3回にわたって、竜之介動物病院の德田竜之介院長のインタビューをお送りします。
簡単に熊本地震の概要についてお話しておきますと、気象庁震度階級では最も大きい震度7を観測する地震が4月14日21時26分および4月16日未明に発生したほか、6強の地震が2回、6弱の地震が3回発生。その後も度重なる余震が今も続いています。直接的な死者は50人(8月現在)、避難者は約18万人にも及びました。
そのような中で、病院をペットと同伴できる避難所として開放した德田院長。まずは、熊本地震発生時の様子についてお話ししていただきました
――熊本地震発生時の様子をお聞かせください
最初の地震が起きたときは、診察中でした。病院は耐震構造がしっかりしているので、そんなにダメージはありませんでした。停電があっても自家発電に5分で切り替わるのでさほど心配もしていませんでした。しかし、その後、次々と運び込まれてくる血だらけのペットたちを見て「これは大変な状況になっている」ということに気が付きました。
――同伴避難所として病院を開放するまでの経緯を教えてください
もともと、いざというときはペットとともに避難できる同伴避難所として、病院を開放しますよとうたっていましたので、すぐにSNSで受け入れを告知しました。
実は4年前に、同伴避難所として開放できるようにリニューアルしてあったんです。最大震度まで耐えられるようにし、一カ月分の食料の備蓄もしていました。水も36トンまで用意。停電時の自家発電、アマチュア無線なんかも装備しました。
そうやって準備してたからこそ、すぐに開放できたんです。
――なぜそこまで前もって準備していたのでしょう
東日本大震災の発生後、動物の状況を把握するために、獣医師など20人ぐらいで視察に訪れたんです。そこで愕然としました。その頃は、ペットと一緒に逃げてくださいという同行避難も浸透していませんでした。ペットはおいて逃げてください。そんな感じだったんです。多くのペットが命を落としましたし、そのまま行き場をなくしてしまったペットたちがたくさんいて……。これは、ペットと一緒に逃げられる避難所が絶対必要だと思い立ったんです。
――大体どれぐらいの方が避難していたのでしょう
最大で250人、延べで言えば約1500人の方とペットが避難していました。ワンコなんて一人で何匹も飼われている方もいますので、結構な数のペットが避難していたと思いますよ。期間は大体約3週間、25日ぐらいです。
――それだけの期間と人数だと維持も大変じゃないですか? 公的な援助などは……
全国から続々と届いた支援物資
普通の避難所なら援助が出ますが、ここは避難所に指定されていないので、すぐには出ないんですよね。一週間ぐらい経ってからですかね。避難所として認められたのは。
その間、飲まず食わずではやっていけない。もちろん備蓄がありますし、何より今回の震災ですごいなと思ったのは、SNSでペットの避難所として開放してますよと発信すると、次の日には全国から支援物資が届き始めたんです。
交通がマヒしているので、宅配便が届く福岡や佐賀に物資が集まり、そこからは個人の人が物資を車でピストン輸送してくれました。どこの避難所も届くまで2、3日は掛かっていたように思います。人を動かす動物の力を見たきがしました。
最終的には、ほかの避難所にここから支援物資を送るぐらいにいただきました。本当にありがたかったです。
行政の助けを待っているだけではダメです。SNSで発信するなど、とにかくアクションを起こすことが大事だということを、身をもって体験しましたね。
(つづく)
德田竜之介(とくだ・りゅうのすけ)
1961年鹿児島で生まれ、青春期の多くを熊本で過ごす。父が医者でなおかつ動物に囲まれて育ったこともあり、小さい頃から獣医師に自分はなるものだと思って育つ。麻布大学大学院獣医学修士課程修了後、関東で勤務医として腕を磨き、1994年に竜之介動物病院を開業する。また2004年には九州動物学院を開校し、後進の育成にも努めている。TBS局系列で放送されている「情熱大陸」で取り上げられ、9月23日には、衆議院第一議員会館で開かれる『動物と人の未来を考えるサミット~動物虐待のない世界へ~』の中で「大震災発生その時ペットは?」と題した講演を議員らの前で行うなど、現在さまざまなところから注目を集めている。